LIONRUGS✕KAORUKO
LIONRUGS OSAKA
♪えぇ〜よなぁ、昭和レトロ。そう言われる方、周りに多いんじゃないでしょうか。今年は昭和元年から数えて100年。巷では昭和歌謡イベントなども開催され、嬉しいかぎり。ちっちゃい頃の私 たかしちゃん 、よぉー 歌謡曲 を歌ってました。近所の子を集め 一段高い台の上をステージ にし 山本リンダ『こまっちゃうナ』を歌うと、近所の子たちが「キャーーー!」
年明け、いつものように甘えた声を出すため、鼻に声をかけながら「こまっちゃうなナぁー」って歌ってたら、寒さには勝てず 大量の鼻水 が ダラぁーん。近所の子たちが一斉に「ギャーーー!」 しょっぱい思い出です。
けど皆さんも幼い頃、台をステージにして一度は歌ったことありますよね? 今日ご紹介するのは、アイドル から 現代美術家 へと転身をされた KAORUKO さんの、ペルシャ絨毯専門店 ライオンラグズ大阪 での展覧会『LIONRUGS × KAORUKO』をご紹介。

《ANIMISM》①
wool100%
約113cm × 101cm
KAORUKO さんは、愛知県名古屋市の生まれ。不動産を営むご家庭で産声を上げました ⋯ と、その前に。ナント、産まれてくる前の記憶 があるそうです。
KAORUKO「地球に生まれたいんだ」
天の声「大変だからやめとけ」
KAORUKO「いや、私は地球に生まれたいんだぁー!」
オギャー
オギャー
KAORUKO「抱かれてることも覚えてますし、ベビーカーが倒れてたことも覚えてます」
産まれる前からと1歳までの記憶があるって、スゴっ。
言葉も 特殊な言葉 を発してたそうで、それを お母さんが通訳 。これには兄と姉も仰天。成長していくと女の子らしさが芽生え、コタツの上で歌ったりして 拍手喝采 雨あられ。ちなみに鼻水は出てなかったそうです。
幼稚園時代、宝塚歌劇団 の『ベルサイユのばら』などを観劇。サンリオ の キティちゃん や 月刊誌『いちご新聞』も大好きで、イラストレーターのおねえさんのデスクがカワイイ と、キャラクターを作ったりして遊んでた普通の女の子 ⋯ と、その前に。
KAORUKO「テーブルのシミにかたちを付けたものを想像したり、絵はクレヨンで抽象的なものを描いてました」
まるで手が意思を持ったかのように描き出し、「これはイケてる」と 自己称賛。
小学校では 絵で常に賞を受賞 するようになり、学芸会の本の表紙を飾る程の腕前。実はその才能はお父さん譲りで、趣味で絵を描かれていて、色々教えてくれたそうです。夏休みの宿題、あまりにも絵が上手いので、担任の先生から「お前が描いたんじゃないだろう」と言われてしまう程の画力。その勢いは止まる所を知らず、いちご新聞 の影響なのか、イラストと文章で構成した新聞 を作っては 勝手に教室に貼る という 闊達自在 な一面も ⋯ と、その前に。
KAORUKO「仏壇の前でお経をあげたり、写経もやったりしてました」
神様 仏様 に毎日向き合い、気持ちをリセットしていたのかもしれませんね。
で、歌はというと、合唱で 赤い鳥 の『翼をください』を練習していたそうですが、残念な歌唱力 であったため 口パク を余儀なくされたとか。
中学生になると、NHK名古屋放送局制作の学園ドラマ『中学生日記』(1972年―2012年)のオーディションを受け、合格。この出演をキッカケに 友だちと共にオーディション を受けまくり、中学3年の時に 東芝EMIの 全国大会 で、竹内まりや の『不思議なピーチパイ』 を歌い、準優勝。
KAORUKO「早くここから出て行こう、東京に出て行こうと必死でした」
中学卒業後、東京の芸能人が多数通っていた、堀越学園に入学。事務所も決まり、レコード会社も TDKレコード と契約。仕事もデビュー前からこなし、小泉今日子 主演のドラマに出演。デビューに備えて歌とダンスのレッスンに明け暮れる毎日。そしてその日はやってきた。
TDKレコードの記念すべき第1号歌手として、新井薫子 1982年3月21日『虹色の瞳』で デビュー! 『花の82年組』と言われた 中森明菜、小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ、早見優、石川秀美、シブがき隊 などのメンバーと共に スケジュールに追われ 、大忙し。絵筆を持つこともままならず、経験値のないことばかりで不安な日々。そんな時、アルバム・ジャケット用の絵を描いてみないか?という話があり、絵を描き上げ、数枚リリース。それに、ステージ衣装のデザインも手掛けるようになり、多忙な中 アートワーク も担当。当時このような アートワーク を務めた アイドル は私の記憶にはなく、歌謡界の 草分け的存在 といえるかもしれません。
転換期となったのが、5枚目シングル『大和撫子 “春” 咲きます』。作詞が 今井美樹 や 中山美穂 などの詩を手掛ける 岩里祐穂 、作曲が 堀ちえみ や 岩崎良美 などの曲を手掛ける 岩里未央 。編曲が 『すみれSeptember Love』などのヒット曲でお馴染みの 一風堂 の見岳 章 。テクノポップ な編曲で、テクノ歌謡 真っしぐら。が、しかぁーし、同じ路線での6枚目シングル『OH!新選娘』、そしてアルバム『Karappo』を最後に、芸能活動を休止。
KAORUKO「体を壊してしまい、名古屋へ戻りました」
そんな最中、ビートたけし さんのTV番組出演の依頼があり、隔週で東京へ。ゆったりとした時間が流れる中、ふと手にした本が『きんぎょが にげた』などで著名な絵本作家、五味太郎 先生の 絵本。
KAORUKO「色の使い方が凄くて。アトリエまで行って『弟子にしてください』とお願いをしました」
それから2年間、2週に1度 東京に行く度に 五味先生 の 吉祥寺のアトリエ で絵の教えを乞うことに。
五味先生の言葉、
机を買いなさい
絵具を決めなさい
楽なことを探せ
KAORUKO「気が楽になって、描き出しました」
名古屋で日本画も描き始め、『日本画公募 白士会』で 髪の毛からひまわりが咲いた120号の女性像 で入選(1986年)し、賞も受賞。その後、日本画の絵具 から アクリル絵具 にチェンジ。
東京では、日比野克彦 や 立花ハジメ が審査員を務める 渋谷PARCO の公募展『PARCO アーバナート展』(1995)で 奨励賞 を受賞。描いていたのは、女性の本質。彼氏の前では慎ましいが、携帯で喋ってる場所が実はトイレであったり、コンビニ前でお弁当を食べながら通話していたり。そういった 客観視した女性像 を、見事に表現。
KAORUKO「カワイイ とか なりきる とか。これって、アイドルにも繋がることなんです」
同じく女性をテーマに写真を発表していた、ガーリーフォトブーム の 火付け役 となった HIROMIX(ヒロミックス)や、多方面で活躍する 写真家 の 蜷川実花 などが 新たな カルチャー旋風 を巻き起こした、90年代。KAORUKO は、股の間から顔を覗かせた パンチラ の女性像『K子』で大ブレイク!97年には、ラフォーレ原宿 に7mの巨大な『K子』バルーンが登場。

巨大な『K子』バルーン
「世の中を違った角度で見ると、ちょっと先の未来が明るくなる」をテーマに、『K子』の プリクラ や グッズ が売れに売れ、そりゃもう大騒ぎさ!

『K子』グッズ
音楽の方はというと、この時代、世は空前のバンドブーム。ZIGGY や LINDBERG が所属する事務所で、1993年 ユニット the TABLES(ザ・テーブルズ)を結成。ベーシスト と共に作詞作曲 も行い、カムバック。 芸名も、本名の 新井薫子 から KAORUKO に改名。が、しかぁーし、歌だけでは勝負出来ないと思い、考えると元々画家になりたかった事を思い出し、やっと答えへと辿り着いた。
『PARCOアーバナート展』の奨励賞がキッカケで知り合った 明和電機 のアドバイスもあり、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント と契約。そして2001年、その当時 吉本興業 所属だった 明和電機 やお世話になっていた ソニー・ミュージックエンタテインメント の勧めで、吉本興業株式会社 にお世話になることに。ただその採用の時の面談が衝撃的で、吉本社員が「入れてもいいと思う人ぉー」と多数決を取ったらしく、その時「さすが吉本!」と思ったそうです。「後日、連絡させていただきます」よりスピード感があっていいとは思いますが、その場で「入れてもいいと思う人ぉー」って。やっぱりこの会社、オモロイ。
そんなこんなで、吉本でアートのお仕事がスタート。アーティスト活動の一環として、テレビ東京『たけしの誰でもピカソ』の 勝ち抜き形式のアート・コンテスト『アートバトル』の 審査員 として出演。その時お隣に座っていたのが、世界的な現代美術家、村上隆。この当初、美術館での回顧展『©️MURAKAMI』他、個展などの準備に追われていて、村上「ニューヨークで忙しくて」と話してくれたという。この時、ふと気が付いた。
KAORUKO「ニューヨークって道があった!ニューヨークで個展をやりたい!!」
アイドル歌手になるためオーディションを受けまくり、地元を離れ東京に行った時以来の高揚感。こうなりゃ、もう どうにも止まらない。早速会社に直談判。
「日本では10年かかることが、ニューヨークでは2年でできる!」
そして、吉本興業 大﨑洋、岡本 昭彦 の二人が出した答えとは⋯
「それオモロイやん。行ってこい!」
追い風が吹いた瞬間だった。
「やったぁー!!
キッカケをくださった 村上隆 さん ありがとう」
円滑に事が運び、さぁー ニューヨーク に行く準備準備と⋯と、その前に。
KAORUKO「ニューヨーク、実は不安。どうしよう」
常に 葛藤と向き合い乗り越えてきた が、今回は 一か八か で 先行きが不透明。そんな時 ふと顔を見上げると 、予想もしない再会が待ち受けていた。絵の師匠、五味太郎 先生が目の前にいるではないか。
五味「ニューヨークに行ってこい」
この一言により、ニューヨークへ行くことを決意。
渡米後、事はトントン拍子に進み、2007年 ニューヨーク のトライベッカ にある ETHAN COHEN FINE ARTS で海外初個展。『K子』バルーン を日本から持ち込み、レセプションパーティーも盛大に開かれ、大盛況。「これはニューヨークに住むしかない」と、あっという間にニューヨーカーの仲間入り。刺激的な毎日を過ごすこととなった。ギャラリー関係者はもちろんのこと、アートディーラー は マーケットの世界の仕組み 、コレクター はビルでの展示などを案内してくれるのだが、どれもそのスケールの大きさに驚くばかり。
これは今まで取り組んできた作品のアプローチを変えねば!
日本人のアイデンティティ を伝えるべく、江戸時代の ろうけつ染めの浴衣 など 着物の型紙 を シルクスクリーン で刷り、日本らしさをアピール。すると マイアミ のアートフェアのサテライト や チェルシー美術館、ギャラリーなどに展示されるようになり、2011年 Mike Weiss Gallery で 個展 『Aromako』を開催。
作品も徐々に米国人に受け入れられ、米国のアート系の雑誌『New American Paintings』98号(2012年2月号)で、アーティスト1200名の中から選出された40名に選ばれ “ アメリカで活動する注目のアーティスト ” として紹介され、なんとこの号の 表紙を飾る という快挙を成し遂げた。
その後、NY個展『ENN』Mike Weiss Gallery(2013年)、NY企画展『Feel Life』Waterfall Gallery(2014年)、フランスの企画展『MANA Monumental』 Mana Wynwood convention Centerに参加。私が アートプランナー を務めていた『京都国際映画祭〜映画もアートもその他もぜんぶ〜』(2014年)では、京都にお越しいただき、作品展示もお願いさせていただきました。そして NY個展『Animism』Lyons Wier Gallery(2020年)開催後、パンデミック に突入。外出禁止令 が出て個展は中止。この頃 ニュー・ジャージー州 のスタジオに居たそうですが、このままでは絵を描くことが出来なかったため、日本に帰らずを得ない状況に。
帰国後、徳島の アワガミファクトリー の アーティスト・イン・レジデンス で1ヶ月滞在。色の付いた 阿波和紙 を貼る、コラージュ作品を制作。2021年『やんばるアートフェスティバル』で、《Animism》として作品を発表。
KAORUKO「森羅万象、全てのものに精霊が宿る」
2022年、ニューヨークで制作した作品を中心に、西武百貨店 渋谷店 美術画廊 で KAORUKO『Femina』を開催。作品は、“ 現代女性を投影したポジティブな新しい表現のフェミニズム ” として評価され、GINZA SIX や 松坂屋名古屋店 でも個展を開催。
そして今回、日本で3店舗を展開されている ペルシャ絨毯専門店『ライオンラグス』とのコラボレーションが実現。東京の ライオンラグス青山 で好評だった展覧会が、大阪へと巡回。
LIONRUGS × KAORUKO
ライオンラグス大阪
KAORUKO「江戸時代の浴衣の柄。そのひとつひとつのストーリー性を、女性に置き換えて描いています。イラン 中東 の 着る物の柄 にもそれらが反映されていて、共通点を感じました。文化交流ができたり、アートで世界が繋がっていったらいいなぁ」

《ANIMISM》②
wool100%
約100cm × 80cm

画像⑤
《ANIMISM》②
部分アップ
『ANIMISM』(アニミズム)とは、ラテン語の anima(アニマ)→【霊魂】から作られたもので、自然界のあらゆるものに 霊 や 魂 が宿るという 考え方 や 信仰 を指す用語。《ANIMISM》①② は、イラン(ペルシャ)の オリエンタル な 東洋の神秘性と相まって、独特なオーラ に包まれています。絨毯の作品として完成させるのにかかった日数は、2年。作品にそっと触れてみてください。一瞬にして、その心地良さの虜になってしまいます。触ることができる最高級の芸術品、まさに 錦上添花 な逸品。
ライオンラグス の エスマイリ・ホセイン会長 は、KAORUKO作品について「絵を観た時、職人もテンション上がってました」と嬉しそうにお話されているのが、印象的でした。

《Strips》
acrylic, silk screen
80cm × 65cm

《Coexistence》
acrylic, silk screen
80cm × 70cm
画像⑥⑦ は アクリル、シルクスクリーン の作品。《Coexistence》は、日本語で『共存』。万物は共に生かされている、そういったメッセージが伝わってきます。

展示風景
こちらは、龍 をモチーフにした作品。
KAORUKO「龍は ANIMISM。目に見えないものにも命が宿る。雲が龍に見えたりして縁起がいいとか、そういった縁起を担ぐことによって、人は幸せな気持ちになれる」
絵具の水にも縁起、ANIMISM があるようです。
KAORUKO「高牟神社 の 湧き水 を使ってます。水には切れ目がない。波のように穏やかに幸せが続きますように、と願いながら描いています」
龍神、水神神様の ANIMISM なんですね。
で、画像⑧ で1枚 気になる作品があるんですが、ひょっとして ⋯

《シルクサマンサ》
シルク(左)
KAORUKO(右)
やっぱり、美容番長 シルク やん。
初日の囲み取材では、シルク「私の100倍きれい!めっちゃ嬉しいです!!」と、ご満悦。
KAORUKO「シルクさんは 美の象徴 、龍ともマッチしてます。前から描きたかったんです。龍は着物の柄、青海波(せいかいは)を繋いだものです」
美容番長と龍。花札にそんなんなかったっけ?
ないない。
最後に皆さんにメッセージをいただきました。
KAORUKO「縁起がいいなぁと感じていただければ、嬉しいです」
幼い頃、無意識の表現 “ オートマティズム ” で絵を描き、仏壇の前で 般若心経 を唱え 写経 を書いたり、森羅万象 仏教 を思い起こし、文化を大切にする。そして辿り着いた “ 縁起とANIMISM ” 。
産まれる前、「大変だからやめとけ」と言われても「いや、私は地球に生まれたいんだぁー!」と言った真意が、現在の KAORUKO さんには兼ね備わっているのかもしれません。
ひょっとしたら、作品が 空飛ぶ魔法の絨毯 と化し、縁起とANIMISM で世界をひとつにしてくれる日も近い!と密かに思っている、梅雨入り間近の夕暮れ時でしたぁ〜 ♬

ライオンラグス大阪
LIONRUGS✕KAORUKO
LIONRUGS OSAKA
5月30日(金)―6月30日(月)
11:00―20:00
ライオンラグス大阪
〒530―0001
大阪府大阪市北区梅田2―2―22
ハービスPLAZA ENT 3F
TEL:06―6110―5435
KAORUKO
プロフィール
https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=3261
Instagram
https://www.instagram.com/kaorukoart?igsh=Zm1zYmFvOXBxcjhj
ライオンラグス大阪
サイト
https://lion-rugs.com/osaka/
Instagram
https://www.instagram.com/lionrugs.osaka?igsh=MXZseXhxcTd0ZW41dw==
おかけんた
1961年3月28日生まれ。1983年に漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」を結成。1986年「第17回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞、1997年「第32回上方漫才大賞」奨励賞、1999年「第34回上方漫才大賞」大賞など。
並行して、アート分野で活動を開始。1994年〜1995年「東京国際AU展」作品展示(東京都美術館 )。1995年株式会社スプーン公募展でグランプリを受賞。1996~1998年「OCHA(大阪コンポラリーヒューマンアート)」をプロデュース。2014年からは「京都国際映画祭~映画もアートもその他もぜんぶ~」 でアートプランナーを務めた。「ART FAIR TOKYO」アートトーク (2007年~2010年)、「ART OSAKA」イベントMC (2008年~2012年)、「草間彌生 永遠の永遠の永遠」 国立国際美術館 ギャラリートーク (2012年)、ギャラリー A―LABのアドバイザー(2015年~)、京都精華大学客員教授(2018~2020年)、「茨木映像芸術祭」審査員(2021年)、「Any kobe2022」トークイベント (2022年)などを歴任している。