遊まぐれ
佐藤有紀・藤田朋子・合田博子
toyono gallery vitokuras
♪えぇ~ 吉本興業 には NSC という養成所があるんですが、私おかけんたはその NSC大阪校 の 1期生(1982年) 。けどメインは、本社の偉いさんに言われてやっていた 梅田花月の舞台進行 という裏方の仕事で、NSC へはほぼほぼ通えない日々。翌年1983年に、吉本新喜劇の岡八郎 師匠 の弟子で ぽっちゃり型 の 井元 くん と漫才コンビを結成。「芸名は、見た目がえぇやろ」 と、本社の偉いさん が付けてくれた名前が
『きつね と たぬき』
マジですよ。3ヶ月だけ、こう呼ばれてました。
その後紆余曲折があり、デビューの1983年6月には 岡 けん太ゆう太 → おか けんたゆうた と改名。
そんな きつね と たぬき や フクロウ などの鳴き声が夜な夜な聞こえてくるという、大阪府の北側 豊能町 にあるギャラリー、 toyono gallery vitokuras さんに行ってきました。
最寄駅は、能勢電鉄妙見線 妙見口駅。曲がりくねった道を行くと、里山 や 田園風景 が広がる大パノラマ。
6分程歩くと、妙見山のハイキングコースの入口もある toyono gallery vitokuras さんに到着。迎えてくださったのは、片山和彦 代表 と モニュメント と 4匹のネコ。
環境はめちゃくちゃいいんですが、そもそも何で大阪西天満のギャラリー “ GALLERY wks. さんから 豊能町 へ移転してきたんだろう・・・。
片山和彦 氏は幼少の頃、内職で祖母がミシンで縫い上げたものを貯める舟のようなものの中で遊ぶのが好きで、DIY好きの祖母が、台所にドアを作り玄関へと繋げたり、土間へと誘われたりする空間を楽しみながら、1人で絵を描いていたそうです。
小学校の頃の部活は、樂焼クラブから人形劇クラブに移行。学芸会では『森の音楽会』で被るリスのお面の絵を、絵心のある父に依頼。多忙で暫く筆を握っていなかった父が、ここぞとばかり腕を振るい描き上げたのは、可愛さの欠片もない超リアルなリス。あまりにも皆とタッチが違うことが恥ずかしく、被ることを断念。
和彦少年が絵を描くことが好きだったのは、お父さんのDNAだったんですね。
中学校では、落語クラブに入部。女性の先輩に「泣いてみ」と言われやってみたが、泣けず。「泣かれへんのかい!」と怒鳴られ、ほんまに泣いてしまう。その後、直ぐに退部して、美術クラブに入部。
高校では美術部員でもないのに毎日、美術室で絵を描いてたそう。
片山「隠れて描いてたのが、やっと解放されました!」
そして芸術系の大学を受験するため、茨木市の予備校 『ミヤザキアトリエ』 に夏期講習から参加。その当時予備校にいたのが、トらやん でお馴染みの 現代美術作家 の ヤノベケンジ 氏や 『建築物ウクレレ化保存計画』 の 美術家 伊達伸明 氏。そして講師に 彫刻家 今村 源 氏 と 豪華な顔ぶれ。
片山「ヤノベケンジ さんのことは “ ヤノケン ” と呼んでて、私は “ チャーリー ” と呼ばれてました」
なんか、いい感じゃあーりませんか。
翌年、京都市立芸術大学 油画専攻 に入学。これから本格的に絵画に取り組むんだと思いきや、『夢の遊民社』に『そとばこまち』など世は空前の演劇ブーム。実は子供の頃から、『宝塚歌劇団』や 歌舞伎、そして 藤山寛美 先生の 『松竹新喜劇』まで網羅する程の 演劇好き。早速「学内に演劇ができるところはないのか」と探すと、ありました! 『ダムタイプシアター』。そう、美術、音楽、ダンスなどをリミックスさせた表現手段で国内外で人気を博した、あの 『ダムタイプ』。83年頃までは、『劇団カルマ』で活動。84年からはもっとボーダレスに!と 『ダムタイプシアター』 となり、片山 氏は 高谷史郎 氏 や 小山田徹 氏、泊博雅 氏 などと共に舞台メンバーとして活躍。
片山「現代演劇に衝撃を受けました」
やがて国際演劇祭にも参加。がしかぁーし、海外公演のスケジュールなども決まり、多忙と方向性の違いから ダムタイプ を脱退。絵画制作へと戻っていきました。
大学卒業後、叔母のデザイン会社に就職。ギャラリー回りや年間映画を100本程観たりして、毎日が充実した日々。そんな時ふと思ったのは、「若い人が集まるスペースがあったらいいなぁ」。仕事のデザイン、好きなギャラリー回り。そうか! 行ったり来たりするより、仕事場とギャラリーを同じスペースにすればいいんだ! と、35歳の時に長堀から大阪西天満のマンション11階に移転して、GALLERY wks. をオープン。
片山「マンションの11階から望む景色がよかったので、決めました」
GALLERY wks. の “ wks. ” は 『works』。意味は作品や仕事、作業ということ。つまり、作品と仕事を共存させるスペースが GALLERY wks. ということだったんですね。
私もよく通わせていただきました。
そんなある日、漆の作家である奥様の 亀谷彩 さんが、出身地 島根県 出雲 で個展を開催。そのホールからの山などの風景が素晴らしく、片山さん演出でお芝居もされたそうです。
そしたら、また新たな構想が沸々と・・・
片山「小さな劇場を作りたい」
実はこの頃、「70歳になって、ホワイトキューブのギャラリーにいる自分が想像できない」 と違和感を覚え始め、移転を考えていたそうです。
結局、様々な理由から 出雲移住大作戦 は実現せず。
がしかぁーし、動き出したら止まらない 片山さん ですから、どこかいいところがないか自分の足で探すことに。
そして、出身地の豊中を更に北へと向かった、 大阪の軽井沢 と言われている 豊能町 へ移住。住まい、ギャラリー、デザインスペース (片山さん)、アトリエ (奥様) がある 『toyono gallery vitokuras』 を2022年7月にプレオープンし、2023年4月から本格的に始動。
で今回の企画展が、佐藤有紀さん、藤田朋子さん、合田博子さんの3人展、遊まぐれ 。
銅版画を始めたことにより生まれた、新たな線の表現。空間を多く取ることによりその線が際立ち、卓越した画面の構成力が見て取れる作品。
銅版画を主に、陶芸作品も制作。 最近では畑も始められ、“ 目と芽 ” 、 “ 歯と葉 ” 、 “ 鼻と花 ” など、生命力溢れる版画が人気。
割れた器の金継ぎを習いに 漆教室へ。それがキッカケで、卵の殻などを用いた漆作品を制作。エスキース コラージュ と 同タイトルの 漆作品も楽しめます。
いやぁー、展示と外観がこれ程しっくりくる展覧会って、なかなか出会えるものではありません。
来てよかったぁー。
取材終わり、ギャラリー入口の右側の扉を開けると猫4匹がいるリビングへ。そこから台所を抜けて行くと、奥様のアトリエが。そして本棚を開くと、パソコンでデザインの仕事をする超狭小スペースが。それはまるで、幼い頃に叔母が次から次へと違う空間へと誘ってくれたドアと、ミシンで縫ったものが流れ着く小舟のような場所。
片山「今は山道を直したり、お地蔵さんの前掛け作ったりして、周りの環境を整えています」
片山さんは、「最寄駅の 妙見口 駅 から、もう展示は始まってるんです」 という。つまり田園風景や里山、そして小川のせせらぎなど周りにあるもの全てが インスタレーション (空間表現) となり、それがギャラリーへと繋がっていく。
片山さんがこだわってきた空間。その最終章であろう場所が、この豊能町。
最後に、片山さんから皆さまへのメッセージ。
片山「里山も秋の景色。それも展覧会と合わせてお楽しみいただければと思います」
toyono gallery
豊能ギャラリー
vitokuras
美と暮らす
vitokuras (美と暮らす) の意味が、やっとわかりました。
また覗かせてもらいます。
四季の移ろいと共に、片山劇場へぇ~ ♫
遊まぐれ
佐藤有紀・藤田朋子・合田博子
toyono gallery vitokuras
2024 11/29(金) – 12/23(月)
12:00 – 18:00
金土日月 オープン
火水木 休み
〒563-0101
大阪府豊能町吉川210-1
tel. 09039433089
katayamakazuhiko@yahoo.co.jp
駐車場3台 要予約
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おかけんた
1961年3月28日生まれ。1983年に漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」を結成。1986年「第17回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞、1997年「第32回上方漫才大賞」奨励賞、1999年「第34回上方漫才大賞」大賞など。
並行して、アート分野で活動を開始。1994年〜1995年「東京国際AU展」作品展示(東京都美術館 )。1995年株式会社スプーン公募展でグランプリを受賞。1996~98年「OCHA(大阪コンポラリーヒューマンアート)」をプロデュース。2014年からは「京都国際映画祭~映画もアートもその他もぜんぶ~」 でアートプランナーを務めた。「ART FAIR TOKYO」アートトーク (2007年~2010年)、「ART OSAKA」イベントMC (2008年~2012年)、「草間彌生 永遠の永遠の永遠」 国立国際美術館 ギャラリートーク (2012年)、ギャラリーA-LABのアドバイザー(2015年~)、京都精華大学客員教授(2018年~2020年)、「茨木映像芸術祭」審査員(2021年)、「Any kobe2022」トークイベント (2022年)などを歴任している。