第11回日展神戸展
本宮氷 作品
神戸ゆかりの美術館・神戸ファッション美術館
♪えぇ~ 小学校の頃。手先があまり器用ではなかった私は、授業の中でも図画工作が苦手。そんなある日のこと『貼り絵』を作ることになり、「これしかない!」と細長く折った紙を鉛筆で丸め かたつむり にし、下には手でちぎった紙を葉っぱに見立て、敷き詰めて完成。それが評価され、今まで一度も経験したことのない、出来の良いものだけ教室の後方に張り出されるという快挙を成し遂げ、「クルクルさせてかたつむり作るって、スゴいなぁー」と皆に言われ、超ご機嫌。鼻高々で暫くは注目の的だったが、それが近所の高学年の人の教科書に載っていたアイデアであったことは、未だに誰にも言っていない・・・。
そんな図画工作や美術の授業で、優秀な成績だった方々が目標とされるのが公募展での入選。その公募展で代表的なものが、『日展』。「この方、日展作家なんです」とご紹介すると「へぇー、スゴいですね」と誰もが注目する有名な展覧会ですが、その『日展』に今年初入選された方が、本宮氷 氏。その作品が、こちら。

《吐息》2024年
油彩 F100
『第11回日展巡回展』入選 展示作品
大阪西成区在住の 西川勝 氏をモデルにされた作品。画面全体に生きざまがあり、それが吐息となり、生きることへの問い掛けがヒシヒシと伝わってくる傑作。
本宮氷 氏 は1967年、祖父母が住居を構えていた 大阪は西成区 の 今宮市民病院 で産声を上げる。九州男児の父親 (大阪府在住) は、多忙過ぎて 出生届け を提出するのも儘ならなかったという。
「どんな子供でした?」と私が質問すると、
本宮「実は9回死にかけてるんです」
えぇーーー!
きゅっ 9回!!
★episode 1
2歳の時、三日麻疹で死にかけた。
しっ 死にかけた!
私も体が弱く三日麻疹にはなりましたが、そこまでは。
★episode 2
4歳の時に夜中に血液癌で血を吐き、病院で血液を全て入れ替え、九死に一生を得る。2日遅れていたら、あの世行き。
あっ あの世行きぃー!
世界一短い、天国の小話
「あのよぉ」
って、言うてる場合とちゃうわ。
★episode 3
小学校2年生の時、逆走してきたトラックに跳ねられ、自転車ごと20メートル 飛ばされる。
にっ にっ 20メートルぅーーー!!
なんと3ヶ月も昏睡状態に陥りましたが、自転車を離さなかったことが功を奏し、命を落とさなかったそうです。この時 幽体離脱 も経験し、天井から自らの様子を見ていたという逸話も。
★episode 4
校庭で鼻血が止まらなくなり病院へ行ったら、
もうえぇーわ。
こんなんあと6パターン聞くのは、キッついわぁー。
元い。
しつけの厳しい父親から「習い事をしなさい」と言われた本宮少年は、算盤、ピアノなどを習いに行ったが、何をやっても続かない。そんな中、唯一継続出来たのが “ 絵 ” 。アクリルで、静物を描いていたそうです。その時 本宮 氏の心を掴んだのは、両親が持っていた 岡本太郎 の画集 。
本宮「岡本太郎の画集に載っていた、縄文時代の土偶をよく見ていました」
中学校に上がると体調も落ち着き、美術部に入部。周りの部員の作品を見て「俺よりヘタクソやなぁ」と自信満々。それもそのはず、中学生にしたら大きめのサイズ、50号の薔薇の絵を描いていたというから驚き。がしかぁーし、その自信も束の間。本か映像で、パブロ・ピカソ が13歳の時に描いた絵を見て、「こりゃ無理や」 と意気消沈。気を取り直して筆を握るが、道具を学校に持っていくのが面倒臭いのと、ヌンチャクを振り回す者!?もいて落ち着かないこともあり、部活に通わず自宅で絵を描いていたんですが、家には 怖ぁーい怖ぁーい父親 がいるので、安らぐ場所がない。
高校に入ると父から「成績が100番以内に入らなかったら坊主」と言われ、その結果・・・坊主。その反発が握っていた絵筆をエレキギターに持ち替えさせ、UFO や マイケル・シェンカー・グループ(Michael Schenker Group:M.S.G.) などのハードロック、それにモトリー・クルー(Mötley Crüe)などのヘビーメタルのコピーバンドを結成。こうなったら、黙っちゃいないのが父。KISS の ジーン・シモンズ(Gene Simmons)の代表曲 雷神 (God of Thunder) の如く強烈な雷 が落ち、自慢のエレキギターをノコギリで切断!
ギター小僧 本宮 氏、
号泣。
高校卒業後、皆さんのご想像どおり 浪人生活 に突入。気分転換に 国立国際美術館 で開催されていた 『オランダ・コレクションによる ヴァン・ゴッホ展 宗教-人間-自然』(1986年) を観に行ったらまた絵が描きたくなり、翌年 立命館大学 に合格し、美術同好会へ入部。3回生の頃には親元を離れ 京都に下宿。

《大蛇嵓》(だいじゃぐら)1989年
油彩 F100
卒業制作では 裸婦に男性器 を付けた100号の作品を発表し、周りを無口にさせる。
本宮「尖ったこと、したかったんですかねぇ」
4年間の大学生活を終え、折角親元を離れ生活をしていたのに、何故か 父親が営む プラスチック工場 で働きだす。
本宮「魔が差したんだと思います」
身内であるが故に優遇されていたのかな?と思いきや、そこは 雷神 お父さん。「お前がやりなさい!」と 平日は通常業務をこなし、土日は経理。パソコンがないから全て手書きで処理し、気が付きゃ休みは年4日。繁盛期には工場がほぼ24時間稼働していたため 車の中で仮眠 をとり、何かあれば従業員が車の窓をトントン!と叩き、その度に工場へと向かうという超多忙な日々。子供の頃のイメージとはガラッと変わり、鋼の体を持ち合わせた まさに 24時間戦うビジネス戦士へと変貌。
本宮「父に鍛えられたのかもしれません」
1999年には結婚。家庭を持つことにより安らぎが生まれ、2004年には「働きながらデッサンを教えてもらおう」と再び画家魂に火が着き、意気揚々と 小灘一紀 先生の絵画教室へと通います。ビジネス戦士 から 画家戦士 へと目覚めた 本宮 氏 。
2005年には『堺市展』、2006年には『日洋展』に出品。2008年には、名前を本名から 本宮氷 と改名。この頃仕事も多事多端で、3日間徹夜もざら。故に風光明媚なところに出掛けて写生する時間もなく、工場や我が子をモチーフにされた絵を制作。
絵を描くこと、それは自分が一番やりたかったこと。「友達を作るな、趣味を持つな、仕事だけしなさい」と、工場の繁栄と従業員や家族の生活のことだけを考えて生きてきた、父。そんな状況下、「絵を描きたい」とは40代半ばまで言えなかったそうです。
転換期が訪れたのは2013年、出生地である 大阪市西成区 のガード下や玉出でイーゼルを立てて絵を描き出した頃のこと。太子2丁目に、ゲストハウスとカフェと庭とアートが行き交う 『ココルーム』(現 釜ケ崎芸術大学) に行くようになり、西成の様々な方と交流を持つようになります。その時に出会ったのが、哲学の先生である 西川勝 氏や、東京から自転車で西成まで来た “ 釜のおじさん ” こと 坂下範征 氏。
その時、坂下範征 氏ともう一人 由良栄久 氏と共に「縄文的にやりたい」と2014年に 本宮 氏 が3人で立ち上げたのが、『樂描の会』。
本宮「縄文と現代を繋ぐアート的なものを探していたら、“ 円空 ” があったな!と」
2014年に 西成区の カマン!メディアセンターで 『樂描の会 立ち上げ』。2015年には、京阪電車中之島線 なにわ橋駅 地下1階コンコース にある アートエリアB1 で、NHK も テレビ取材 に訪れた 第2回釜展『私たちの円空展』を開催。
その他、
『土器・土偶つくり』西成市民館 (2017年)
『円空さん彫りましょ』西成市民館 (2017年)
『民博でアイヌと映画をシェアしましょ』国立民族学博物館 (2017年)
『月とへびと母性で読みとく縄文文化』『野焼き』(土器・土偶) 大阪大学中之島センター (2017年)
『第2回 あぐり展』アートエリアB1 (2018年)
2017年の『野焼き』(土器・土偶) は、まだ更地だった 大阪中之島美術館 の建設予定地で行われ、 縄文の土器と土偶を薪で焼いて完成させました。
『あぐり展』は、私も若手の頃からお世話になっている アーティスト の リキュー さんから「もっと間口広げて、展覧会をしたら?」というアドバイスを受け、「美術と関わりのない人も出来る、手で触れてもいい作品を出そう!」と、視覚障がいの方も触って鑑賞できる展覧会を企画。これは、木・火・土・金・水 にまつわる 五行思想 が主なテーマで、現在も定期的に実施。
その他、本宮 氏個人の参加も含め70本以上の企画に携わってこられたというから、そりゃもう大騒ぎさぁ。
もちろん画家としても作品を制作し、展覧会他で展示。

《haru》 2018年
油彩 S100
日洋展 会員賞
※モデル 坂下範征 氏

《chi》 2018年
油彩 F100

《臨風》 2023年
油彩 F100
第10回 青木繁記念大賞展入選
※モデル 坂下範征 氏
本宮「モデルの坂下範征さんには、土着的でプリミティブな雰囲気があります」
昨年2024年は、このコラムでもご紹介させていただいた KOURYOU さんが参加された、北川フラム 氏がディレクターを務めた新アートプロジェクト 『南飛騨 Art Discovery』にも『あぐりの会』のメンバーとして作品を発表。

《無声》 2024年
油彩 150×180
『南飛騨 Art Discovery』より
そして2024年から2025年、『第11回日展』に出品。
モデルは、西川勝 氏。
本宮「西川さんは病気を患っていて、呼吸するのもしんどい。それでタイトルをシンプルに《吐息》にしました」
日展の審査では8回落選、今回念願叶い入選。実際に巡回、展示されてみて、率直な感想をお聞きしました。
本宮「皆さん、熱量があります。ただ、モデルを描いている絵としては、自分はちょっと色が違うかもしれません」
東京、京都、名古屋、神戸、富山と巡回することにより鑑賞者が思い描くその土地土地のストーリーが異なり、醸し出される面白みが増殖するのでは?と個人的には思った次第です。
最後に、メッセージをお願いしました。
本宮「肖像画というより、人物画を描いているところを感じていただければ嬉しいです」
九死に一生を得た少年時代からビジネス戦士となった繁忙期。ぐるり回って辿り着いたのが、出生地である西成。“ 生 ” を受けた場所で再び新たな 生 を受け、その 生 が “ 勢 ” となり、今の 本宮 氏の背中を押し光り輝かせています。
つい先日、『第78回堺市展』で【堺商工会議所会頭賞】を受賞された 本宮 氏。
快進撃は、まだ始まったばかりなのかもしれませぇ~ん ♬

本宮氷 氏と展示作品 『吐息』
第11回日展神戸展
神戸ゆかりの美術館・神戸ファッション美術館
(兵庫県神戸市東灘区向洋町中2-9-1)
会期
2025年2月15日(土) – 3月23日(日)
開場時間
午前10時~午後5時 (入館は午後4時30分まで)
休館日
月曜日
入場料
一般 1200円 大学生・65歳以上 600円
陳列点数:537点(日本画:70点 洋画:94点 彫刻:43点 工芸美術:73点 書:257点)
第11回日展神戸展
Web Site
https://nitten.or.jp/traveling_exhibition/traveling_exhibition-1001827
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おかけんた
1961年3月28日生まれ。1983年に漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」を結成。1986年「第17回NHK上方漫才コンテスト」優秀賞、1997年「第32回上方漫才大賞」奨励賞、1999年「第34回上方漫才大賞」大賞など。
並行して、アート分野で活動を開始。1994年〜1995年「東京国際AU展」作品展示(東京都美術館 )。1995年株式会社スプーン公募展でグランプリを受賞。1996~98年「OCHA(大阪コンポラリーヒューマンアート)」をプロデュース。2014年からは「京都国際映画祭~映画もアートもその他もぜんぶ~」 でアートプランナーを務めた。「ART FAIR TOKYO」アートトーク (2007年~2010年)、「ART OSAKA」イベントMC (2008年~2012年)、「草間彌生 永遠の永遠の永遠」 国立国際美術館 ギャラリートーク (2012年)、ギャラリーA-LABのアドバイザー(2015年~)、京都精華大学客員教授(2018年~2020年)、「茨木映像芸術祭」審査員(2021年)、「Any kobe2022」トークイベント (2022年)などを歴任している。